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2004年09月26日
オールディーズ [ その3 ] ( Mayumi )
そして、その伊勢湾台風は直接体験した台風なのです。台風に向かって行ったと言うべきか…
あれは1959年9月のことです。明日から会津祭りと言う日でした。5年生の私は子ども会のちょうちん行列に出るはずだったのですが、雨で中止。つまらない思いしてるところに、思いもかけないお客様。和歌山に住んでるおじさんが祭り見物を兼ねて遠いところ会津にやって来たのです。…と私は思ってました。
でも、なにやら、急に大変な話が決まっていたのです。「和歌山のおじちゃんの家に行くか?」「うん。」訳も分からず私は承知してしまい、急に和歌山行きが決まってしまいました。どうやら、おじさんには子供がいませんでしたから、私を子供にしたいという気持ちがあったようでした。でもその時は私にはそんなこと全く知るよしもありませんでした。
さあ、それからが大変です。おじさんの休暇の都合で出発は24日の夜行列車でという事になり、あわただしく準備を始めました。
休日(会津祭り最終日)だったので、大好きだった担任の先生とお別れしたくても学校が休みのため、先生の自宅までお別れに行きました。それにクラスのお友達にもお別れは言えませんでした。今から考えると、大変な遠いところへいってしまうのに何と簡単に考えて、いや、何も考えずに事を決めてしまったのだろうと思います。いろいろ家庭も事情があったのだろうと思います。でも、この和歌山行きがその後の私の人生に大きな影響を与え、ターニングポイントとなったのは確かです。
初めての夜行列車でした。昔、東北新幹線が出来る前までは会津若松駅から上野まで夜行列車がありました。昔はよく使ったものです。私の子供の頃といったら旧市内から外に、子供会で猪苗代の湖畔や裏磐梯に行ったことあるくらいで出た事がなかったんです。だから汽車に乗ってどこかへ行くなんて事は今で言う飛行機に乗って出かけるに等しいくらいでした。なんせ自転車の行動範囲でしたから。
駅まで見送りにきた両親と夜行列車での別れというとなんと切ない…と思うかもしれないが、そんな悲しい記憶は無かったように思います。親の言うとおりに素直に応じた、そんなことだったと思うんです。何も知らずについて行ったんでしょう。
雨は夜汽車の窓を激しくたたくようでした。いつの間にか私は眠っていました。騒がしい音で目が覚めると、なんと無賃乗車の男が捕まり、郡山駅で下ろされたということでした。黒いセーターに灰色のズボンをはいた若い男でした。どうして、そんなこと鮮明に覚えているのでしょうか。ちょうど感受性の強い年頃だったからかも知れません。
翌25日の早朝上野に着きました。会津から外に出た事の無い私、初めて見る大都会東京でした。向かった先はおじさんの友人宅でした。場所は何処だったかまったく記憶にはありません。でも、大きなお屋敷だったという事は覚えています。
初めて水洗トイレを体験しました。最初どうやって使うのかまったくわかりませんでした。
また、はじめて大きなステレオでレコードを聴かせてもらいました。それから、はじめてサンドイッチを食べました。おやつの時間にお手伝いさんが作ってくれたのです。私よりちょっと小さい子がいたように覚えていますが、彼女がピアノを弾いてくれた記憶があります。そしてそして、なんとなんと凄い体験をしたのです。
おやつの後、大雨の中、自家用車で出掛けたのです。それが、とちゅうで車酔いして、せっかく食べたサンドイッチはおなかに治まる事はなかったのです。なれない車にのったせいでしょう。
それでも、なにやら凄い場所に連れてこられて、驚きました。そこは大相撲の開催場所、旧国技館だったのです。折りしも秋場所まっただなかでした。
なんとおじさんと私は花かご部屋の席で相撲観戦できたのでした。おじさんの友人が花かご部屋の後援者だったのです。その日初代若乃花は見事3秒で勝ったのでした。
花かご部屋付きの若い呼び出しさんが「何かご用はありませんか」と聞きにくるなんてすごいことです。
また、呼び出しさんは館内を案内までしてくれて、いろんなところを見せてもらいました。貴重な経験でした。そのときの写真も残っています。
帰りはまた、友人のお宅の方が迎えに来てくれました。私は酔うのが怖くて景色はみれません。「あれが東京タワーだよ」といろいろ案内してくれたのに、もったいなかったなと思います。見ていたら当時の東京の街の中覚えていたかも知れません。
大雨の中やっとお宅に戻り、その日はそのお宅に止めてもらいました。広くて明るくてきれいなお風呂、そしてふかふかのお布団に寝かされたのを覚えています。
次の朝、おじさんの友人宅をおいとまし、すごい暴風雨の中東京を後にし、大阪へ向かったのでした。9月26日伊勢湾台風(台風15号)が大接近してきた日の事でした。大阪に着くまでのことはまったく記憶にありませんが、雨、風がひどく、汽車が倒れてしまうんじゃないかと子供心に心配してたのだけしか覚えてないのです。
夜遅く大阪に着いたのですが、とんでもなく、おそらく私のそれまでの人生では体験した事無いような暴風雨だったと思います。若松って昔から、大きな台風はほとんど横滑りして行くようですね。そんな天候でしたので、大阪から乗り換えるはずだった紀伊本線は当然不通になりました。夜行に乗って、翌日着くはずだったのですが。
そのとき泊まった(ビジネスホテルだったと思いますが)ホテルが、初めてのホテル経験でした。「北極星ホテル」今でもあるんでしょうかね。3畳ほどの部屋にお布団が敷いてあって、昔はよくあった、木の卵型のお風呂が付いていました。
余談ですが、私の祖父は桶造りの職人で桶屋をしていましたので、木のお風呂はしょっちゅう目にしてました)
お湯が水道から出てきたときはびっくりしました。夕食はホテルの中にあったレストランで、当時としてはめずらしい、エビフライをこれも初めて食べました。パン粉を使った料理といえばお店で売ってるコロッケしか食べたことなかったのですから、きっと味わうゆとりはなかったでしょう。
その晩は暴風雨のすごい音でまんじりともせず夜を明かしました。ビル風の音も手伝ってすごい聞いたことも無い音だったのでとっても怖かったのです。
いつの間にか寝入ってしまって、朝起きたら何と台風一過、秋晴れのとってもいい天気でした。その日は日曜日でしたので、通勤ラッシュはなくさほど駅は込んでいませんでした。
和歌山県御坊市に向かって、紀伊本線の汽車の中から見たものは、今でも目に浮かびます。それは今まで見たこともない光景でした。
有田川(だったと。今思うと…)が氾濫して、辺りはまるで、湖のよう。電柱が頭だけちょっと水面にのぞいてるという具合でした。田んぼももちろん水の中です。この世の光景かと目を疑いました。それでも名古屋の方より被害は小さい方だったと後からわかりました。
御坊市に近づくにつれて、水かさは減って行き、稲のなぎ倒された田んぼが目に入って来ました。田んぼが続く景色の中にひときわ高くそびえ立つ煙突が目に入るとおじさんが、「あれがおじちゃんが働いてる旭化成藤田工場だよ」と教えてくれました。なんだかドキドキしてきました。やがて、道成寺駅に着きました。(あの安珍清姫で有名な道成寺があるところです)そこからは秋の日曜日の朝の田舎道を旭化成社宅がある藤田町(今は川辺町)まで歩いて行ったのでした。台風の爪あとを残した田んぼを横目で見ながら。
そして、おじさんの家では叔母さんがニコニコしながら出迎えてくれました。庭には台風のためにいろんなものが散らばっていたのを鮮明に覚えています。物置の戸もはずれていました。
後に分かった事は私が移動してる間に出会ったあの台風は伊勢湾台風と後に呼ばれ360人もの死者を出した歴史に残る大きな台風だったという事です。
私のターニングポイントと伊勢湾台風、切っても切り離せない出来事です。またその後の事、次回またいつかお話しさせていただけたらと思います。
