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2004年11月16日

オールディーズ [ その4 ] ( Mayumi )

 私のターニングポイントだった、あの伊勢湾台風の時の移動。あれから、もう何十年経ったでしょうか。今日はその後のお話を致しましょう。

 おじさんたちは旭化成の社宅に住んでいました。小さな社宅、今、考えると本当に狭い家でしたが私にとって、なんとモダンで近代的な家と思えた事か。

なんせ私は農家(といっても兼業農家でしたが)育ちです。文化的とはとても言えないほどの家でした。

それでも昔は十分満足していたのですから。屋根はあってもお風呂とトイレは外にあったし、台所には囲炉裏がありました。そして薪や炭、また、糠釜といった糠がらを燃料とした大きなコンロのようなものなで、たき物をしていたのです。スキーシーズンはその回りにスキーや上着などを立てかけて干したものでした。
冬には隙間風が吹き込んで来るのでとっても寒かったのです。それでも元気に過ごしていたのですね、昔は。

朝起きると母が、糠釜でお湯をわかし、火鉢に炭をおこしてくれていましたので茶の間がとっても暖かかったのです。沸かしてあったお湯を水で冷たくない程度にうすめ、長い廊下を毎朝学校へ行く前に雑巾がけしていました。ふいた後から凍ってしまう事もしばしばありました。

今考えるといくらあの時代でもよくやれたなと思います。今は水道をひねるといつでも熱いお湯が出てきます。雑巾がけもせず、モップでサッサと済ませます。家の中も起きてすぐす暖める事ができます。ありがたいことです。

 ところでそのおじさんの家ですが、南紀という事もあって、全く雪も降らず冬なのに寒くなくストーブやこたつがなくても済みました。実際おじさんのうちにはコタツがなかったし、火鉢はお料理にしか使いませんでした。

そしてなんといってもびっくりしたのが、台所のテーブルでご飯を食べることでした。目が・・になりました。それに間取りに無駄がなくとっても素敵だなって子供心に思いました。今考えると2DKに廊下と玄関、それにお風呂とトイレがついていた感じです。広くはなかったけど何もかもが文化的と思いました。

極めつけは日曜ごとのお出かけでした。お弁当をつくって近くへ出掛け写真を撮ってもらったりしました。まるで映画の主人公になったような気分でした。
 
 学校はすぐ近く、10分もかからなかったので、お昼には戻って食べました。遠くから来てる子はお弁当を持ってきてました。給食がないのが不思議でした。田舎だったんだと思います。

学校の回りは田んぼばかりでしたし、旭化成の工場と安珍清姫の道成寺山があるだけの町でしたから。私は会津では謹教小学校当時児童数2000人(5年生は1クラス50名近くで7クラスありました)の小学校に在籍してましたので小さな学校に戸惑いました。それでも友達は沢山できました。

 町には旭化成の会社のクラブハウスがあって、町の人たちはそこにテレビを見に来ていました。町で唯一のテレビだったと思います。社宅からはすぐ近くだったので私も毎晩のように見に行きました。

まず私が見たかったのは大相撲でした。あの伊勢湾台風のさなか国技館で実際の大相撲見てからはそのとりこになっていたのです。
当時は初代若乃花、栃錦の時代それに若手の大鵬、柏戸の時代が迫っていたころでしょうか。私も若乃花や大鵬のファンでした。

大人達はなんといってもプロレス必見!!でした。プロレスのある、毎週金曜日には人が入れないくらいでした。そのプロレス、あの頃は1週間おきにしか放映されず、あとの1週間おきに放映したのが、なんとなんと、これまた、第二の私のターニングポイントになった番組だったのです。さてその晩組というのは…


投稿者 aizunekai : 2004年11月16日 17:55

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