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2006年08月01日

オールディーズ [ その8 ] (斎藤真弓)

 中学生になり、母から初めて父が私が1歳半のときに再婚したので義理の父だということを聞いて、あまりショックを受けなかったのはおじさん、おばさんの家にいたおかげかな。とも思う。それがクッションになってたのかもしれない。

それよりむしろ、父にかわいがられているんだってことを自覚できた。そして、父が4年前なくなるまで私をたよりにしてたことがその表れのような気がします。父は祖父に言われたことよりもやっぱり私をいとおしく思い自分の手で育てたいと思い迎えに来たんではなかったかと思います。おかげで私は幸せな青春時代を過ごすことが出来たのです。

 若松第三中学校、それが私の出た中学校です。一生のうちで一番遊んで一番勉強した時期それが、中学時代です。いろんな思い出もぎっしりです。日記を書き始めたのもこの時代、そう、中2の時、英語で書き始めたのが日記を付けた最初です。その後一年後は受験勉強が大変になり、普通に日本語で付けることになってしまいますが。それがもう40年以上も付け続けているんです。

中1の時一番興味があったのは英語の教科です。おばさんの影響もかなりあったと思います。未知の世界にどんどん引き込まれて行きました。それに英語の先生が当時新任のS先生で大好きな先生でした。先生の授業がとっても楽しみだったのです。
(話は別ですが、そのS先生今はもう、もちろん退職なさってなんと、偶然にも私と同期で鶴ヶ城ボランティアガイドをなさっています。世の中面白いですね。)

未知の言葉を覚えるのが楽しくて、もっともっと勉強したいという意欲満々だったのです。今の時代だったら、それにお金持ちだったらもっともっと勉強が進んだかもしれません。環境が環境、時代が時代ですから仕方ない。そこそこのことしか出来なかったのです。

同じくクラスでザベリオ小学校から来た生徒がいました。その子はさすがにと〜〜っても発音がよかった。一味違っていました。日本人離れしていました。なんとか私も必死でその子と同じくらいの発音が出来るように頑張りました。毎日英語の教科書を朗読しました。

中1の英語の教科書は「Jack & Betty」でした。「This is a pen.」高々こんな程度なんだけどね。今だったらばかみたいです。どうしてあの当時あんなセンテンスが教科書に載っていたんでしょう。どうしてもっと役に立つ生きた英語が載ってなかったんでしょう。不思議です。

それでも私なりに努力した結果、英語の成績は良かった方だったと思います。特に2年生になったころ急に伸びたような気がします。いまでも2年生、3年生の英語の教科書は大事にとってあります。

 そのころからひそかに大それた夢を持ちました。
それは、中1の時これまた大好きな担任のH先生の授業である地理が大好きになりました。行った事のない未知の世界への憧れでしょうか。特に外国への憧れは英語と共に強くなるばかりでした。

そんなことで、スケッチブックに世界地図を書き込みイラストを入れて、また、写真の切り抜き(中1コースなどに載ってる世界各地の写真など)などを貼って空想の世界旅行をしていました。いつかきっと英語を一生懸命勉強して世界旅行をするんだ。まずはアメリカに25歳までにきっと行く!!そしてミッキーに会ってくるんだ。なあんて本気で考えていたのです。(それが47歳にしてやっと初海外旅行となるなんて…その事はまた後日…)

そのためにはもっともっと英語を勉強しなきゃということで勉強してたような気がします。そのためには大学を出なきゃならないって後から知ったのです。それまでは高校も出るつもりありませんでした。家では中学卒業したら就職だって言ってましたから。
(結局大学は出られませんでしたが)

おばさんは大学まで出してくれるって言ってたのに残念なことです。それでもいいって家に戻ったのですから仕方ありません。
そうか大学かそのためにはまず、高校へ入らなきゃって言うことで必死に勉強しました。ぜったい進学校へ行くんだという意気込みで。単純です。

でもなぜかがり勉ではなかったのです。最高に遊びました。部活もしました。好きな漫画を描いたり、本を読んだりいろんなことしました。楽しかった時代です。それから初恋も味わいました。

 では次回に、ひとつひとつお話ししましょうか。


投稿者 aizunekai : 18:22 | コメント (2)