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2005年01月27日

学会@サンノゼ

さて、そんなわけでようやくサンノゼに到着しました。到着が夜で、私は機内で寝られないためにその後すぐ死んだように眠って、時差ぼけはまったくありません。

日曜日のうちに学会の受付を済ませ、プログラムが始まるのは月曜日からです。で、私も同僚も発表が火曜日の午後だったんですが、月曜の夕方あたりから互いにどんどん口数が減り…火曜日の朝にはもう「おはよう」しか言わないような状態で黙りこくっていました。

まあ結果として発表は大変うまくいった(自画自賛)んですが、自分の順番が回ってくるまではそりゃもうどきどきでした。だって今までさんざん苦労して読んだ論文で見た名前が目の前にずらーっと並んでいたら、そりゃ緊張しますわ。一旦しゃべり始めると腹がきまるというか、緊張している暇なんてないんですけど。同僚には、まさかいきなり国際学会であんなに落ち着いてしゃべれるとは思わなかったとか言われましたが、普段私はよほど落ち着きがないんですかね。

学会では、特別講演としてNASAの研究員による火星探査機ロジャーに搭載されたカメラのシステムについてのものと、スタンフォード大学のハンラハン教授(※)によるCG研究の未来についてと、2つありました。どちらも大変面白いものでしたよ。

他には、学会全体のレセプションでいきなり日本人の知り合いが激増したり、私が発表したセッション内のこぢんまりとしたパーティがイタリアンレストラン(美味しかったー)であったり、さらにこぢんまりとしたホームパーティがあったり…さんざん食べて飲んでおなかいっぱいになりました。

ちなみにそのホームパーティはNASAのとある高名な研究者(特別講演の人とは別人)の自宅であったんですが、ドイツに戻った途端、指導教官に「で、彼はどんなすごい家に住んでた?(笑)」と聞かれて笑ってしまいました。まーたしかにそういうの気になりますね。

で、そのホームパーティでは、シャープがアメリカに持っている研究所の主任研究員(やっぱり有名人)をつかまえて液晶とプラズマディスプレイについて語り合い、さらには日本企業が最近よく抱えている特許訴訟とそこから派生している日本国内生産回帰についてしゃべり、勢いでいかに納豆がくさいかという話をし…どこに行ってもよくしゃべるな私は。

そんなわけで学会はとても充実したものに終わりました。一日空いたのでサンタクララの紀伊国屋書店に行き、久しぶりに見る山のような日本語の本に感激してついつい散財してしまいました。さてその後はシカゴに立ち寄って久しぶりに友達と会う予定だったんですが、東海岸は大雪のため飛行機が飛ばずこれはキャンセルになりました。急遽シカゴ経由を翌日のダラス(テキサス)経由に変えてもらってなんとかドイツに帰れる手段を確保し、数時間前に出てきたモーテルにまた舞い戻って笑われ、シカゴでは買い物三昧の予定だったので埋め合わせにサンノゼのショッピングモールに繰り出し、休日が終わりました。久しぶりの典型的なアメリカのショッピングモールは楽しかったー。

久しぶりにアメリカに行ってみて思ったんですが、空港はともかく、日本人としては「お客さん」として行くのにとても心地よい国ですね。ま、住むといろいろあるんですが、ちょっと滞在してお金使って帰るぶんにはとてもいい国です。なんだかんだ言っても、アメリカ型の資本主義消費社会でずっと育ってますしね。

で、東海岸は大雪で大変ねーとのんびりドイツに帰ってみたら!ドイツも雪でしたよ…サンノゼで屋外プールを楽しんですっかり腑抜けていた私は、鼻毛が凍りそうな気温にいきなり泣きそうになりました。うぅ寒いー。


※Pat Hanrahan:間違いなく、世界最高の頭脳のひとり。彼の功績はいちいち挙げていったらきりがないのですが、おそらく一番一般的に(といってもCG業界内ですが)知られているものとしては、彼はRenderManプロジェクトのリーダーでした。その後は大学に籍を移し、やっぱりものすごい勢いで著名な論文を数多く出されている先生です。

投稿者 akiko : 01:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月26日

アメリカ行ってました

皆さんお久しぶりです。先週の土曜日から9日間、アメリカに出張しておりました。日本語の使えるラップトップは持っていかなかったので、今回まとめて二日お届けします。え?そういう場合は英語で更新しろ?いえ、海外生活が長いくせにちっとも上達していない英語がばれるんで、それはなしで。

アメリカは、サンノゼで学会に出席してきました。サンノゼはとても暖かかったですよ。宿泊したモーテルは屋外プール&ジャグジー(写真)つきです。水着持っていって良かったー。

さて、そんなわけでアメリカの入国審査で人生初の指紋採取でした。が、そんなことはどうでもよくなるようなインタビューがフランクフルト空港でありまして…チェックインの前に入国審査、というかほとんど犯罪容疑者の取り調べのようなスクリーニングがありました。いえ、そういうのが必要なのはわかるしそれで自分の安全も確保されることになるんで、そこは十分理解していますし、できるだけ協力するつもりですよ。しかし、

「では、この荷物は昨夜パッキングしたんですね?それで、その後これはどこにありましたか?」
「そのまま自宅に。」
「でも例えば今はもう自宅にあるわけじゃありませんが。」
「…自宅からここまで、ずっと私の手元にありました…これでよろしいですか?」

と言う小学生のへ理屈のような問答がずっと続くと、さすがに疲れます。

他にも、バッグとすべてのデジタル機器についていつどこで買ったかを説明したり、学会からの論文審査合格を知らせる手紙を見せたり、プレゼンテーションの資料を見せたり、ホテルからの予約完了を知らせるメールのコピーを見せたり、挙げ句には収入について説明したり…このすべてにおいて、質問は上記の調子でなされます。

いい加減いや気がさしてぶすくれていたら、隣でスクリーニングを受けていた同僚(ポーランド人)も「あのですね、もはやドイツのビザ(※)が切れていようがいまいが関係ないんですよ。ポーランドは現在EU加盟国です。ご存知ありませんでしたかね?」と静かに切れてるし。

よっぽど、アメリカ政府の通達によるもの(いろいろ考え合わせるに、十中八九そうですが)かどうかを聞いて、もしそうだと答えられれば日本大使館員の立ち会いを要求しようと本気で思うほどの取り調べでした。一晩くらいなら足どめされたところで、自分のプレゼンには影響ないスケジュールでしたし。参考までに、海外の国家権力による不本意な扱いを受けた場合、日本大使館(または領事館)に連絡して立ち会いを要請する権利が認められています。もちろん、日本大使館・領事館が存在する国、つまり日本と国交のある国に限りますけどね。

と、私の担当者がすべての資料を持って上司の指示を仰ぎにいった間にこういうことを考えていたわけで…もしチェックインを拒否されれば、実際にやるつもりでした。まあさんざん時間をとった後に結局チェックインできたんですけどね。で、やっと終わったと思ったら、次は預け入れ荷物の総点検が始まる次第で…ぐぁー!いつ終わるんだこれは!

システムは完全にアメリカ式なのですが、訴訟社会という背景でハラスメント訴訟に敏感なアメリカと違い、ヨーロッパはおおらか、アメリカ的視点からいえば無神経です。よって私の荷物は同僚(男性)の目の前で開けられ、下着の一枚一枚までくまなく点検される羽目になりました。さすがに彼は明後日の方向を向いていてくれましたが。

そんなわけで、ようやくアメリカにたどり着いた暁には、もう指紋でも魚拓でも好きなだけ取ってくれという気分でした。…はっ、もしかして指紋採取の不快感から気をそらせるために作戦なのかも?

いかん、フランクフルトでの愚痴だけで終わってしまいました。学会とサンノゼについては明日お届けします。


※ドイツは、日本人に対していかなる理由・滞在期間であろうと事前のビザ取得を免除しています。他の免除国はEU加盟国、スイス、アメリカ、カナダだったと記憶しています。ただしこれは入国後にしなくてはならない外国人登録とは別物ですのでご注意を。

投稿者 akiko : 03:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月10日

電車の乗り方

今日の写真は、年末に行ったパリのサクレ・クール寺院です。ちょっと天気が悪かったのが残念ですね。それにしても、観光客が多かったなあ。まあ自分もその中の一人なんですけど。観光客がのんびり歩くのは別にいいんですが、お願いだから皆さん、エスカレーターを降りたところと横断歩道を渡りきったところでは止まらないでください…ヨーロッパ人が知らないのは電車の乗り方だけじゃないようです。電車は降りる人が先だっつーの!もうー。効率悪いったらありゃしない。

これで、大きいスーツケースを抱えてドイツに来た時に電車の乗り換えで往生しました。映画などでご存知かと思いますが、ヨーロッパの電車には、基本的にバリアフリーなどという概念は存在しません。最近はそういうものも出てきましたけど。プラットホームからかなり高い階段を3段(日本の階段の高さで言えば6段分ほど)くらい上がらないと電車の中に入れません。しかもこの出入口が狭い!人ひとり分の幅です。さらにさらに、ドアが手動で、しかもドアストッパーなし!…こんな状況で、死体を運べそうなスーツケースを抱えて乗り降りしなくてはならないわけです。

たとえ何もなくともこれではかなり大変なのですが、途中の乗り換え駅で私がドアを片手でおさえ、もう片方の手でなんとかスーツケースを持ち上げて降りようとすると、どんどん人が乗ってくる!えーと、私はあんた方のドアガールではありませんが。などと言う間もなく、人はどんどん乗ってきます。きっとニュージーランドで羊の群れ、いやそんな可愛いもんじゃない、テキサスで牛の群れに運悪く遭遇してしまったらこんな感じでしょうね。

あまりのことに口を開けたままつっ立っていると、いつの間にかあるおじさまがスーツケースを降ろして、さらにドアをおさえて私が降りるのを待っていてくださいました。あ、ありがとうございます。おわかりかと思いますが、だいたい上記のような振る舞いをするのはおばちゃんたちなんですよね…レディファーストは結構ですが、女性を甘やかしすぎて増長させているのが実情でもあり、ヨーロッパのおばちゃんたちは無敵です。紳士の皆さん、そのへんもう少しなんとかなりませんかね。

とまあ、ただでさえこういうふうなのに、観光地で浮かれている状況だとそりゃもう大変です。さらに、わりと早足で歩く私はおそらく観光客には見えないらしく、よく道を聞かれます。聞かれたところで、道の名前を発音できないという恥ずかしいことになるのが落ちなんですけどねー。

さて、今週末からちょっとアメリカに出張です。

投稿者 akiko : 21:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月03日

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。

私の年末年始はパリに行き、新年はシャンゼリゼ大通り(車両は全面通行止)で花火を見ながらシャンパンを浴びて迎えてきました。翌日の新聞によると40万人の人出だったそうですが、なんせシャンゼリゼはやたらと長いので、そう混雑しているという感じはしませんでした。

いろいろと覚悟の上で行ったんですが、テロも暴動もなく平和なニューイヤーカウントダウンでした。動員されていた警察官は4000人だったか5000人だったか…ちなみに、エッフェル塔近辺は常に警官が配置されており、ここにいるおまわりさんは皆マシンガンで武装しています。

カウントダウン後のシャンゼリゼはシャンパンやらビールやらの瓶が粉々になったものが散乱し、それを見越してコンコルド広場の端には市が手配した清掃車が何台も待機していました。こういう時、ヨーロッパってなんだかなあと思うんですよね。

夏にパリに行った時にほとんどの観光名所は回っていたので、今回は観光といえばモンマルトルのサクレ・クール大聖堂を見たくらいです。あとはショパンの墓参りに行き、ラーメン&餃子を食べ、日本語の書籍を扱う書店に行き、セフォラにいりびたり、ギャラリーラファイエットで抹茶エクレア(日本人パティシエ青木定治さんによるもの)を食べ、生牡蛎を食べまくり…全然観光じゃないですね。生牡蛎おいしかったなー。

写真はペール・ラシェーズ墓地にあるショパンのお墓です。この墓地には、他にもバルザック、ビゼー、コレット、ドラクロワ、ピアフ、プルースト、オスカー・ワイルドといった著名人が埋葬されています。明るくて管理のゆきとどいている墓地で、散歩にぴったりですよ。パリには他にも、モンパルナス墓地などもありますね。

パリは寒いと思って行ったのですが、年末年始はそう寒くなくて良かったです。ドイツの方がよっぽど寒い…人が少ないから風の通りがいいのかも。

投稿者 akiko : 23:59 | コメント (0) | トラックバック