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2005年10月18日

「秀吉と城」展

私の実家から徒歩圏内に、 佐賀県立名護屋城博物館があります。ここ10年ほどの間に驚くべきスピードで整備がなされ、私が小学生の頃に犬と走り回っていたころとはだいぶ変わっていてちょっとびっくりです。で、ここの企画展「秀吉と城」に行ってきました。展示の目玉は、復元された秀吉の黄金茶室です。本物は、大坂夏の陣で焼失しています。

釘をいっさい打たない木組み式で、ばらして持ち運び(といっても櫃がいくつも必要なのですが)できるようになっています。今回も、400年前に伏見から運ばれてきたように、京都からこれが運ばれてきました。

茶室は金箔ではなく金ののべ板を惜しみなく使い、また畳のへりから障子紙にいたるまで、凝りに凝った作りです。なのですが、正直なところ、これを実際に目の当たりにすると豪華絢爛を通り越して「趣味悪いな…」というのが第一印象でした。そりゃ千利休が文句言うはずですよ。

いくら派手な安土桃山文化だといっても、あれは派手すぎました。よく化粧の仕方に「引き算のメイク」という表現がありますが、あの黄金茶室は少し「引き算」を覚えたほうがいいのでは。せめて、あの猩猩緋の畳とか真っ赤な障子紙はどうにかならんものかと。金閣寺も同じようにきんきらきんですが、いくら金閣寺でも障子紙はあんなぶっとんだ色じゃありませんもんねえ。

この緋色の使い方はいわゆる南蛮物ですね。織田信長といい豊臣秀吉といい、新し物好きなんですね。権力者だから新し物好きと言われる程度ですみますが、これがそうじゃなかったら立派な「傾き者」です。もっとも、権力者じゃなかったら、あれだけの金を集めることなどできない相談ではありますが。ついでに、猩猩緋の畳の下は正絹が敷いてあるそうです。ただし1ミリも見えません。

秀吉は自分の権力の象徴として黄金茶室を作ったというよりは、関白として天皇を招くのに恥ずかしくないしつらいを用意した、と展示室の説明文にありました。茶の湯そのものを厳しく追求した千利休とは、そもそも目的が違うのですね。しかし、招かれればこの中で茶を飲まなければならないとは、天皇も難儀な商売(商売か?)ですね。

ついでに、肥前名護屋城屏風をよく見てみたところ、約400年前に私の実家敷地に住んでいたのは馬でした。人が住むための家も今とまったく同じ位置にありましたが、何より目立っていたのは馬…まあいいけど。


投稿者 akiko : 2005年10月18日 23:02

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