2008年10月21日
関係性における風化作用
私は起きている時間のほとんどをコンピュータの前で過ごしています。 そのような生活が長く続いているせいか、コンピュータがなくインターネットにアクセスできない状態に置かれると、息苦しさを感じるようになってきました。
インターネット上に蓄積された情報にアクセスできないのは、単語を度忘れしたようなものです。 そういった意味で、インターネットは外部化された脳と考えられなくもありません。 また、自分の作ったプログラムやスクリプトは仕事を効率よくしてくれる手足であり、過去の自分の記憶のスナップショットでもあります。 自己というものが記憶によって形成されると仮定すると、それらスナップショットも、自己の一部であると言えるかもしれません。 そういうわけで、私にとってコンピュータは既に体の一部なのです。
私の例に限らず、機械と人間の境界線は段々とあやふやになっているように感じます。 他にも、自己の境界線は揺らぎ、ファジィ論理が現実に応用されたり、多岐の分野にまたがる学部が創設されたりと、様々なところで境界線が消失しつつあるように思えます。 境界線を埋めるようなサービスをうまく見つけることが出来れば、案外はやるかもしれませんね。
担当: 齋藤 (離散的な系から連続な系への補間) q!
投稿者 beko : 2008年10月21日 14:16
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