2001年09月17日
テロリズムとアメリカの正義
夏休みはあと一週間を残すのみとなってしまいました。相変わらずホームレスな私は一体どうすればいいんだか・・・警察に行ったものの、あまり役には立ちませんでしたし。
さて、私のホームレスどころではない騒ぎが現在アメリカで起こっていますね。大都市は厳戒体勢に限りなく近いようですが、このど田舎は大変平和でいつもの日常が展開されています。どのくらい平和かというと、テロが起こったことを私は日本からのメールで知ったくらい平和なのです。はからずも疎開状態にあるのでした。
あまりにも信じられない映像で映画のようだとはよく言われていますが、CNNがNYで街頭インタビューをしている時に、飛行機がWTCに突っ込んでいくのを目の当たりにした男性が「すごくリアルだった。映画みたいだった」と言っていました。リアル(現実)を前にして「すごくリアルだった」も何もないような・・・しかしそんなものでしょうね。私も含めて、平和ぼけとはよく言ったものです。
亡くなられた方々は心からお気の毒だと思います。私はけしてテロリストを擁護するつもりはありませんし、今回のように人命に何の敬意も払わないやり方を肯定するつもりもありません。が、この一週間というもの、テレビをつければpunishment(制裁)だのjustice(正義)だの、あんたら何様?と思うことばかりで、もううんざりです。アメリカの威信にかけてここは引っ込むわけにはいかないんだろうな、と最初は思っていましたが、もう理解の範囲を超えています。新聞の見出しに"wonder why"なんて書いている場合ではなく、今回の事件はまさに起こるべくして起こったものだと少しは認識すべきです。民間人を巻き込んだこの事件をテロというならば、アメリカは世界中でテロ行為を働いてきたのです。バグダッドのビルにミサイルを射ち込んだのはどこの国だと聞きたいし、巻き込まれた人には家族や友人がいて彼らの悲しみははかりしれないと言うならば、同じことはバグダッドでもコソボでもベトナムでも広島・長崎でもあったと想像してみたらどうだと言いたい。今はまさにそんな気分です。
人の命はどれも尊いとはよく言われますが、アメリカ政府を見ていると、アメリカ人の命の重さとその他大勢のそれには明らかに違いがあると思っている節が見受けられて、私は大変不愉快です。もちろん自国民を優先するのは政府の義務ですが、優先するあまりに変な方向に向きがちのような気がします。今回のような事件で「『ならず者国家』に制裁を」と言っている間は歴史は動きはしないでしょう。単に繰り返し、因果を巡らせるだけです。もしもすべての発端が慣習・思想の異なる世界へ自由を盾に土足で踏み込んだことにあるならば、アメリカおよび関わった国々は潔くその非を認めるべきです。世界中の軍事国家とそれを支援する国々に、冷静な判断を望んでやみません。
投稿者 akiko : 2001年09月17日 14:52
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