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2005年03月29日

復活祭

この週末は、復活祭の4連休でした。で、私は何をしていたかというと、4日間どっぷりと京極夏彦に溺れていました。幸せー♪

こういう連休のときは、事前から入念な準備が必要になります。ただでさえ店は早く閉まるわ日曜はどこも開いていないわという状況のドイツ、4連休に何も準備していなければ餓死しかねません。連休中の土曜日は店によては開いていますが、あっという間に在庫がなくなるので実質閉店しているようなものです。混むし。

日本のスーパーは絶対に空いた棚を作るなとバイトに教育するという話ですが、ドイツのスーパーにそんな経営理念はないようです。しかし、行くたびに陳列順が変わるという噂のイギリスよりはまだましかも。よって、連休中の土曜日と連休前の木曜日は買い物日としては適当ではなく、水曜日に買い物に行くはめになります。なんで週末の準備を水曜にせにゃならんのか…と思いますが、餓死するわけにはいかないのです。

公共交通機関もあってないようなものなので、アパートに篭城して遊ぶのが一番です。少し暖かくなってきたので本を持って外に行ってもいいんですが、犬の糞が…糞が…そこらの芝生に直に座る勇気は私にはありません。というわけで、おうちで食っちゃ寝な生活です。一日の消費カロリーはものすごーく低いかも。いえ、友達とバーベキューしたり研究所に行ってみたりも少ししましたけどね。

バーベキューしよう!と言って、持ち寄った物がソーセージだらけになるあたりがドイツです。これが東欧の方になると、豪快に仔豚の丸焼きになったりするようですが。まあこれは友達同士のバーベキューではなく、家族行事だそうです。食べてみたい、というより見てみたいですね。そういうことを教えてくれた友達に、丸焼きってちゃんと火通るの?とか、しっかり血抜きしないと食べられないと思うんだけどどうするの?とか聞いたはいいんですが、豚の血抜きの仕方なんて一生使わない知識な気がします。基本的には魚の活けじめと同じ…かな?

ところで、連休いっぱい使って熟すのを楽しみにしていたアボカドが、切ってみたら半分腐っていました。がーん。私が思っているよりも気温の上昇が早いようです。猫柳も咲き始めましたし。夏時間も始まったし。でも例によってラップトップに教えられないと夏時間の切り替えができません。何年経てば慣れることやら。

投稿者 akiko : 05:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月22日

ボン

大相撲の三月場所が始まって、相撲好きの同僚が嬉しそうな今日このごろです。

先週は会津大の先輩がドイツへ出張してきたので、私もボンまで遊びに行ってきました。ボンはついこの間まで首都だったわりには、こぢんまりとした街ですね。街のど真ん中に大学があるのはいいなあ。まあ街のど真ん中といってもハイデルベルグほどではありませんが。なににせよ、ザーランド大学のキャンパスは、なんだか隔離されたような位置にあるので。まあ大学にはいろんな意味で隔離した方がよさそうな人が多いのは認めます。はい。

さて、ボンです。ボンといえばベートーヴェンですね。というわけで、ベートーヴェンハウス(写真は入口。ややわかりにくいです)に行ってきました。ここはベートーヴェンの生家ですが、彼のウィーン時代のピアノなども保存されていて、ベートーヴェン関係の資料は一番揃っているところなのだそうです。

ザルツブルグのモーツァルトハウスで見たモーツァルト直筆の譜面はまるで鼻歌でも歌いながらしたためたかのように軽やかで、しかもそれが交響曲の譜面であることに気がついて、驚くのを通り越して少し背筋が寒くなったものです。モーツァルトが神に遣わされた芸術家であるなら、ベートーヴェンはさしずめ超人的な努力をした天才という人間の可能性の極限を体現した存在です。もっとも、モーツァルト自身は決して安定した精神状態ではなかったようですが。

モーツァルトの譜面とはまるで対象的に、ベートーヴェンのものは見ていてこちらが辛くなるほど苦悩の後が生々しいものでした。最終稿でこれなのですから、破棄された譜面はどんなことになっていたのやら。むしろそちらの方に興味をひかれますね。さらに、彼が使っていたピアノは一番よく使う真ん中の白鍵半オクターブ分くらいはすり減っていました。どれだけ弾けばピアノがああなるのか、自分も少しピアノは触っていたはずなのですが、まったく見当もつきません。

ベートーヴェンは、いったん作曲に集中すると睡眠はもちろんのこと食事や排泄にいたるまで忘れてしまい、そのため長く勤められたメイドはいないという逸話があるほどです。何かもう、解脱しているというか、常人にはおいそれと行き着けなさそうな境地です。

ところで、チベットハウスのサイトによると来月はダライ・ラマ法王の来日講演があるそうですね。いいなー。私も行きたいです。法王は何語で講演なさるのでしょうか。無難に英語?チベット語と日本語の通訳をできる人はあまり多くなさそうですしね。

投稿者 akiko : 02:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月15日

冬期鬱

日本からのおみやげで、萩の月をいただきました。美味しいー。日本のお菓子は美味しいです。ああこの柔らかさが素晴らしいとかなんとか言っていたら、オフィスメイトから変態を見るような目で見られましたが。自分だってしっかり食ってるくせに。ふん。

萩の月やら、こちらで手に入らないメーカーのカレーやらで、冬期鬱がやや晴れました。日がだんだん長くなってきて、気温もだいぶ上がってきましたし。別に何が悪いというわけでもないんですが、どうも冬は夏に比べて鬱々と…しいて言えば天気が悪いんです。日照時間が足りないと人はどうも欝になりやすいようで。別に私に限った話ではないんですが。

さて、そういう時はどうしたらいいんでしょうねえ。アメリカにいた頃は、やたらと「ひとりで悩まずにカウンセリングを!」な広告をキャンパスのあちこちで見かけたり、オリエンテーションのたびに耳にしたりしましたが、大半の留学生にとって英語が欝の根本なのに英語のカウンセリングに行く元気なんてないだろうよ、と思っていました。今も思ってますけど。

しかしそうはいっても授業をとっていれば課題はあるわ試験はあるわ、研究生活に入れば論文の〆切りはあるわで、現実問題として鬱にばっかりかまっているわけにもいきません。とはいっても、本当に鬱のひどい時は布団から出るのもままならないんですよね。仮にできたとしても恐ろしく時間がかかって、それだけで一日分のエネルギーを使ったような疲労感に襲われたりとか。

私は、鬱のひどい時期の何もしなくていい日(日曜とか)は、開き直って一日中寝てます。いえ、能動的に寝る(妙な表現ですね)というよりは、どこかの回路が切れて起きられないといった方が正しいです。寝すぎて背中が痛くなったりしますが、かまわず寝ます。日曜は、いつもより多く鳴っている近所の教会の鐘が頭にがんがん響きますが、負けずに寝ます。

本当は、自分と相性の良い精神科医やカウンセラーを探すことが一番良いのだろうとは思います。私は冬に鬱状態になるのをここ何年か繰り返しているので、良くも悪くも慣れてしまい、どうせ春になったら治るんだしと日常生活に支障が出ない範囲なら放置しています。そうやって慢性化させるのは多分に問題があるだろうと思うのですが、それならそれで自分の一部だと思って一生それなりにつきあっていくつもりでいます。うーん、前向きなんだか後ろ向きなんだかよくわからん。

で、鬱が治りかけの時にいつも気がつくんですが、気分が晴れない時って下ばっかり見て歩いているんですよね。いつのまにか夜が朧月夜になっているのに気がついて、ああ春だなあと思った瞬間、よし鬱は一区切りとも思いました。冬期鬱を飼い慣らしているというより、私が鬱に飼い慣らされているようです。なんだかだんだん、人間だと思っているのは本人だけで、実は冬眠の必要な動物なんじゃないかという気がしてきてなりません。って、カエルとか?…それだけは嫌です。

投稿者 akiko : 06:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月08日

今年のカレンダー

今ごろ今年のカレンダーも何もないとは思いますが、年末に中華料理屋でもらったカレンダーがなかなか使いやすくて気に入っています。何が良いって、太陰暦が併記されているのが便利なんですね。

今年の復活祭はいつか(私にとってはただの不便な連休)なんてのは研究所でカレンダーを眺めていれば自然と頭に入ってきますが、太陰暦はそうもいかないので。なんせ、今年が平成何年なのかももうよくわかっていないくらいですから、太陰暦以前に問題がありすぎます。かろうじて、まだ平成だということはわかっていますが。今上陛下、まだまだお元気そうで何よりですね。

同じような理由で、イスラム教徒はイスラム仕様の太陰暦カレンダーを持っています。私の場合は「やっぱり冬至にはかぼちゃを食べたい」程度の理由なんですが、彼らはもう少し、いやかなり真剣です。彼らの暦は、365日分のお祈りの時間が書かれているかなり細かいものです。

初めて見た時、その細かさにびっくりしました。ちょうど、釣り人用の潮汐カレンダーがもう少し複雑になったような感じです。さらにこれは、地域別に細かく作られています。私のようなものぐさに回教徒はつとまらんと本気で思いました。ま、それ以前にトンカツくらい好きに食わせてくれよと思うわけですが。

で、これに従ってお祈りを…するかしないかはかなり人によりますが。お酒を嗜むイスラム教徒というのもそう珍しくありませんし、戒律を守る幅はいろいろです。だからといって、きちんと戒律を守っている人たちがそうでない人を責めるとか、そういったふうには見えません。神と向き合うのはあくまで個人である、と。その姿勢、全然関係ない私にとっても有難いです。

困った時は八百万の神々でも仏様でも死んだじいちゃんでも誰でもいいから助けてください的な私は、心からの善意による一神教の勧誘に遭うとどうしていいのかわからなくて困ります。なーんて、そんな可愛らしい反応、誰がしますか。時間の無駄だからよそあたってくれというのを、オブラートに五重くらい包んでお伝えし、さっさと逃げます。

しかし、前にも書きましたが、今もってヨーロッパに来てからこのような目には遭っていません。だいたいこれでうんざりさせられたのはアメリカで、ヨーロッパ人はもっと余裕があって楽そうです。一部過激な人たちもいますし、余裕があるとはいっても細かいところではいろいろあるようですが、少なくとも、道を歩いている時にいきなりとっつかまえられてジーザスがなんたらと説教されるようなことはありません(実際アメリカであったし…)。

そういえば、ローマ法王のインフルエンザは大丈夫なんでしょうか。まあ神の代理人であって神じゃないんだから、そりゃ病気くらいしますよね。代理人どころか神そのものと称された日本の歴代の天皇がさんざん病気してるんですから、別に驚くことはありません。法王猊下はお年もお年ですし、ゆるりと静養なさるのがよろしいのではないかと。信者に祝福を与えたはずが実際はインフルエンザを与えたんじゃ、ジョークのネタにもなりゃしませんし。

投稿者 akiko : 06:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月01日

H2Aロケット打ち上げ成功

H2Aロケット打ち上げ、成功しましたね。久しぶりにわくわく(成功が確定するまでは心臓ばくばく)しました。いいなあ。やっぱり技術者はかっこいいです。関係者の方々、本当にお疲れさまでした。心より敬意を表します。

あとは、これが日本のマスコミにきちんと取り上げられることを強く望みます。少なくとも、前回の失敗を煽り立てたマスコミには、その時と同じくらいの報道をしていただきたい。普段理系離れとかなんとか言ってるんだったら、テレビの特番でも雑誌の特集でもする良い機会なんですけどねー。まあ正直なところ、ほとんど期待していませんが。

ネットでざっと新聞記事を読んだだけでも「信頼回復」とか書かれていて、他人事ながらもうがっくりします。H2Aロケットに限っていえば、前回の失敗は実験6回目にして初めての失敗で、これはむしろかなりの好成績です。そういうことはちっとも報道されず、結果としてあたかも国産ロケットは落ちてばっかりのような印象を持っている人が多い気がして残念でなりません。しまいには「国産ロケットはなぜ落ちるのか」なんて本まで出ましたし。まあこの本はどちらかといえば行政批判で共感できる部分も多いんですが、その誤解を招きかねないタイトルはどうかと思います。

日本の宇宙開発事業はNASAの10分の1、欧州の7分の1ほどの予算しかありません。これで自前のロケットを飛ばすだけでも十分驚異的だというのに、あまつさえ再点火可能な液水液酸エンジンを積んでいるなんて、もう驚異を通り越してほとんど非常識の域です。何をどうしたらそんなことが可能なのかまったく見当もつきませんし、これを批判しろと言われても不可能です。強いていえば宣伝下手な点でしょうか。でも、それは技術そのものとは関係ないし。

せめて今の倍の予算(それでもNASAの5分の1ですけど)があればなあ…銀行に兆の金を突っ込むんなら宇宙開発事業の予算を数百億増やすくらいでがたがた言うなと思うのは、私が理系だからでしょうか。しかしそういう国家予算は国会で決まるわけで、宇宙開発事業の弱点は今のところ利権が発生していず、したがっていわゆる族議員が存在しないところにあると思います。農林族はいても、宇宙族議員なんて聞いたことありませんものね。そういう議員がいたらちょっとかっこいいかもしれない。

さて、私はといえば、わくわくした勢いで久しぶりに寿司屋に行ってきました。とはいっても、握っていない握り寿司の出てくるところではありますが。いくら回転寿司でも、日本なら握る真似事くらいはするもんだがとちょっと思いますが、まあ贅沢は言えません。それにしてもサーモンの脂がきつい…あれを何皿も食べられるヨーロッパ人の胃にはまいります。いや、単に私の食の嗜好が年寄りくさいだけかもしれない。

投稿者 akiko : 08:32 | コメント (0) | トラックバック