昔なつかしい人力車
会津力俥組

〒965-0873
福島県会津若松市追手町1-1
(市観光公社)

TEL 0242-27-4005

運行期間
4月〜11月(天候により休む場合あり)
運行時間
9:00〜17:00

会津力俥組になった理由

40という人生の節目の中で、会津人として、男として、何かをやりたい、残したい、後半の人生を楽しみ、独立したかった。コンクリート、ガラス、コンピューターの世界から歴史や、伝統文化、自然の中へ脱皮したかった。

会津力俥組を始めて良かった点など
日本全国の人々、そして世界の色々な人々との出合い、ふれあいがある。 でも、自然にはかなわないことを実感。(台風、大雨の季節は運行不能なところ)
お客さまに知って頂きたい事
力俥というのは単に人を運ぶというのではなく、乗りごこちを楽しみ、旅を楽しむという性格な訳で、中には、乗車料金等の値段で判断してしまう方々が多く見られます。その人の感性だからやむを得ないが、残念に思うことが多い。心と心が通い合うものと感じる貴重な、今どきにはないものなのです。
仕事上での苦労・喜び
生身の人間ですので体調の良い時、悪い時が只ありますが、皆々様の明るい笑顔や感激される姿を拝見し、自分も感動出来ることが嬉しい限りです。皆様の感動される姿を見ると疲れも吹っ飛びます。苦労という言葉は私にはありません。私自身が楽しんでいるのです。
思い出深いお客さまとのストーリー
今まで8年間くるまやとして頑張ってきた訳ですが、幾度か感激した場面がありました。幾人かの人達とは、今でも手紙で親交を温めています。千葉の方、越後の方...。
たった1度の出合いの中でお互い共鳴し、共感をする、日常はなかなか出来ないものですが、力俥という古き良き時代の生き残りが橋渡しとなり、人々の心を打ち、和ごませ現代に失ってきたものを感じるものとして共感を呼ぶのでしょう。真に私自身の生きがいです。心と心のふれあい、そして今生きてる喜びをわかちあう、それがくるまやの喜びです。

松五郎にとっての会津とは?
サラリーマンからくるまやに転身して初めて、我がふるさとの歴史や伝統文化という、深く重い部分と、山国で育まれた自然、そして磐梯山や飯豊山からの水の良さ。水がいいから米どころ、酒どころ、そばとくる。ふるさと会津は実に奥深く、一生かかわって生きていきたい。
会津以外で走ってみたい場所
北海道函館にある、戊辰戦争終結の地『五稜郭』 幕府軍や、会津軍そして新撰組(土方歳三等)、榎本武揚が、新政府軍と戦った歴史的な場であり、感銘深いところです。
城内での見どころスポット
1. 蒲生氏郷公が築城されたころの天守閣真下の土台である石積み。   400年以上の長きに渡り、今だほとんどくずれず、当時の面影が忍ば れる。会津の野石、川石をそのまま加工せず、自然の石が石垣職人や 出役した人々の人力で積まれているところ、つまり、野面積みの素晴 らしさ・重み・先人達の血と・汗と・涙が偲ばれる。

2. 外観的には西南から見た会津鶴ケ城がきれいです。
  (本丸内西側と荒城の月跡の上から)
力俥のすきなところ

1. 俥屋の『心意気』で走るところ
2. 日本の古き伝統文化、風物史であるところ
3. 人や自然にやさしい俥であるところ(無公害車)

松五郎が語る会津力俥組をやっていく上での夢

現代の車社会前は力俥が明治初期から大正、昭和20年代まで、日本全国の駅前で俥屋が待機していた訳です。その後日本における近代化、そして高度経済成長により、力俥はいつのまにか、自然消滅という形で忘れ去られる運命にあった訳です。

乗車して初めて、力俥の素晴らしさを感じられる部分が大きいので、ひとりでも多くの方々に楽しんで頂き、老若とわず万人の皆様に感動して頂きたいと思っております。

現代文明の進歩する中で、歪みも多く残して来たと思います。とくに自然環境破壊等、発展、開発の裏には多くの犠牲をはらって日本は成長してきました。でも私はこう考えます。新幹線(便利だし、スピードもすごい)も素晴らしいが、反面、昔のSLの様な汽車の窓から自然を見たり、情緒を感じ、人々がゆったりと語り合う姿がなくなってしまう現実が何とも寂しい限りです。

物量豊富な時代から、心の豊かな時代を少しでも呼びさましていきたいと想う、今現在の私であります。毎日毎日が『ロマン』を感じており、本当に私は幸せ物と存じます。旅先案内人として一生かけていきたいと思っております。